Kaname

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つまらない

 

 

 

 

knm-fc.hatenablog.com

 

 

 

 

つまらない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただただつまらない

 

 

 

 

 

 

 

ので、

 

 

自分の中で”折り合い”をつける必要があるなと感じました。

 

 

 

 

 

 

note.com

 

お世辞抜きに、上記の記事に私はとても感銘を受けました。

 

だから今、私自身も記事を書いているとも言えます。

 

 

 

 

以下、上記記事からの引用ですが

だから、サポーターを頑張るのをやめることにした。頑張っているから見返りを求めてしまうのだ。私は私で好きにアルウィンを楽しむ。嫌いになって足が向かなくなるよりずっとましだ。天使と悪魔よろしく、私の中の罪悪感がわめく。やめるな!声を出せ!ゴール裏に行け!90分間叫びとおせ!一体感を共有しろ!
無理やりにでも叫び続けないと、熱い魂を持ち続けないと、好きじゃなくなってしまうぞ!!そんな罪悪感に私は淡々と言い返す。

頑張らないと好きでいられないものなんて、好きって言えるのか?

 

 

 

凄く身に沁みました。

 

 

自分が1つのクラブに執着する理由は何なのか?

 

 

自分が1つのクラブに何万円も投じる動機は何なのか?

 

 

 

 

それを考えさせられるような、非常に美しくもあって鋭利でもある文章だと思いました。

 

 

 

 

 

 

で結局自分はどうしたいのか。

 

 

 

 

 

 

考え直したとき、積極的な発想ではないものの、

 

 

 

”期待”するのをやめよう

 

 

 

漠然と、こう思い始めるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

自分が楽しむための場所としてここに居続けたい。

(「センダイ勝たなきゃつまんねえだろ」より引用)

 

 

その思いのためだけに、いつしか”痛み”を背負うことまで勝手に義務化してしまうのは、

 

 

 

なんだか本末転倒なんじゃないか、と最近思うようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

「自分が楽しむための場所」は、

 

 

応援して、その””結果””勝ってもらうという”他人軸”が無くても十分成り立つ。

 

 

 

 

そんな、「当たり前」だけど長らくの間ずっと忘れていたことを、

 

 

 

今ようやく思い出せたような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

あえて残酷なことを言います。

 

 

 

 

もし「応援の力」が本当にチームの駆動力と成るのであれば、

 

 

 

 

例えば2014年のブラジルW杯にて、”ホーム”のブラジルが「ミネイロンの惨劇」に巻き込まれることは無かったでしょう。

 

 

 

2021年のJ2リーグにて、松本山雅FCが最下位でJ3へ降格することも無かったでしょう。

 

 

 

 

 

 

だから自分は割り切って、以下のような考えで居ようと思いました。

 

 

・””WE””であることに執着せず、「エンターテインメント」として楽しめるものを自分のために楽しむ

 

 

・勝つか負けるかではなく、自分にとって面白いか面白くないかでクラブに触れていく

 

 

 

 

 

 

 

「俺たちが応援しているのになんでお前らはこうなんだ!」

 

 

”期待”の発想の延長で、本当は好きなものを行動や言動で傷つけてしまう、

もう二度と見たくないと感じ、全てをシャットアウトしてしまう。

 

 

 

 

”期待”とは、双方にとって残酷な結末をしばしばもたらしてしまうなぁ、

 

 

と、最近の色々なトピックを眺めて改めて感じます。

 

 

 

 

 

 

 

だから今はあえて一歩下がってみる。

 

 

 

執着””しなければならない””理由は本来無いのだから。

 

 

 

 

そういうメンタリティをもって、今後はサッカー観戦という

「エンターテインメント」を楽しんでいきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

そして少し具体的な話に戻せば、長距離走のシーズンもいよいよ後半戦。

 

 

 

 

これからも全力で、拳と声援で

「俺ら””が””いるぞ」をアピールしていきます。

(「センダイ勝たなきゃつまんねえだろ」より引用)

 

 

前半戦で宣言したこの言葉が嘘になってしまって本当に申し訳ないと思っています。

 

 

 

 

 

 

ただ、魂を注いだ対象、そして何よりも自分自身を守るための防衛の手段として、

 

 

 

上述の気持ちはどうかフラットに見ていただきたいです。

 

 

 

 

 

 

今回のお気持ち表明はこんなところです。

 

 

 

 

 

最後に、またベガルタ仙台という”場所”が面白くなってくれる日を、

 

私はどこかから、ひっそりと祈っています。