少し真面目な話
2022年10月21日深夜、1人のプロサッカー選手の逝去が発表されました。
私は彼の在籍クラブのサポーターでも何でもありませんが、あまりにもショックが大きくて正直まだ実感がありません。
水頭症という病気が、32歳のアスリートを死に至らしめるほど恐ろしい病気であったということも驚きですし、それ以上に「なぜ彼が今」という困惑が大きいです。
まだ冥福を祈るべき人間じゃないだろという思いの方が率直に強いですが、ともあれ心よりご冥福をお祈り申し上げます。
それで私自身の視点で立ち返ったとき、この件で改めて感じたのは「一期一会のフットボールは大切にしなきゃな」という思いです。
今回の例は極端な、それも考えすらもしない最悪の事例ですが、フットボールの”その時の姿”も、決して永遠ではないことを改めて実感しました。
応援しているチームがどれだけ酷い試合内容で敗れても、その2日後には勝手に脳内で次節の理想スタメンを組み、マッチデーには前節を忘れて試合を観戦する私の非常に非効率な生き方は、
そうした認知が奥底で働いているからかもしれません。
他のスポーツがどうかはさておき、サッカーは特に移籍が活発なスポーツだと思います。
したがって、どのクラブも半年に1回はメンバーの入れ替えが不可避に発生する。
今でこそ試合のハイライトやゴールシーンはYoutubeやTwitterに活発に挙げられていますが、
90分の試合の記録や記憶・その試合の中での”個人的なベストバウト”は必ず後で見られるとは限りません。むしろ、後に残ってないことの方が多いです。
2013年磐田戦の菅井直樹の神出鬼没弾や2015年鹿島戦の野沢拓也のノールックボレー弾、2016年新潟戦の金久保の左足カットインミドル弾などは、
私が調べた限りではもう映像でそのシーンを見ることができなくなってしまいました。
そういう観点から見ても、今自分が当たり前に目の前で見ているサッカーと、当たり前に目の前で見ているメンバーは、
3年先・5年先・10年先にとっては「貴重な思い出」になってしまうんだなというのを改めて痛感します。
だからこそ、1回1回の結果に一喜一憂しようが、一方で「今そのプレーを見たい選手」の”今しか見られない”輝きをリアルタイムで体感したいがために、
何だかんだいって自分は今後も同じチームに執着し続けるんだろうなと。
今まで10年以上そうだったのでここは変わらないでしょう。
これまで続いてきた日常が急に断たれる瞬間。
今回のショッキングなニュースはその最も極端で悲しい事例ですが、自分自身が見てきたフットボールというものを振り返ったとき、
実はこれ自体にもそういう性質があるんじゃないかとふと思ってしまったので駄文を綴りました。
末筆として、32歳の若さで逝去されてしまった工藤壮人”選手”には、改めてご冥福をお祈りいたします。